2017年04月07日

千葉・佐倉城の桜の様子 20170406

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お城の西側のお堀から伸びる土塁の桜は、まだまだ。


昨日(2017年4月6日)、青春18切符を使って、佐倉城に行ってきました(^_^)
※この日の旅程は、鹿島神宮→成田山新勝寺→佐倉城(鹿島神宮に行く前に不可抗力で佐原にも)。

佐倉の状況は3分〜6分咲きといったところでしょうか?
上の写真でもあるように、お城を降りた西側の土塁沿いの桜は、1〜2分咲きといったところ。
場所や、個体、枝によって、かなり差があるのが今年の桜の印象。
東京から成田へ。
海外に行くなら珍しくないコースですが、桜の咲き具合は、毎年ワンテンポ遅れています。
東京は散り気味の時に、佐倉城は満開を迎える感じです。
東京から行くと、JR佐倉駅はJR成田駅の2つ手前です。
佐倉城は、名前に違わず?桜の名所。
地元の方に愛されています。
ちなみに、佐倉城に繋がる、国立歴史民俗博物館は、かなりの絶品です。
佐倉城に行ったなら、是非一緒にどうぞ(^_^)
■国立歴史民俗博物館ホームページ
https://www.rekihaku.ac.jp/




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2017年03月30日

今日の江戸城・千鳥ヶ淵の桜 20170330

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ちょっと早いかなと思いつつ、今日は、恒例の春の千鳥ヶ淵行脚です。
やっぱり、早かった_| ̄|○
1分咲き、、、まで行ってないかも。。。
その証拠写真を、、、と思ったら、花が咲いてる写真しか、ほとんどなかった。。。(^^ゞ

とはいえ、よく言えば、そろそろ咲くよ!と、枝がピンクになる期待感あふれる状況ではあります。

やっぱり、今週末は、ちょっと早いかな。

ちなみに、鎌倉は、もっと咲いていませんでした(^^ゞ




posted by 三度笠 at 19:39| Comment(0) | 城と花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

小田原城のイベントのお知らせ

この記事は、2017年3月25日の記事です。

現在開催中のイベント
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ゴールデンウイーク中のイベント
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少々大病をしてしまい、更新が滞っていましたが、やっと、行動が色々できるようになりました。
ってなわけで、小田原で現地調査してきました!
小田原城に行ってきました(^_^)
内部のリニューアル前と比べて、だいぶ様変わりしましたね。
現在は、ライトアップイベントをしているようです。
また、ゴールデンウイークには、恒例の五代祭りもありますね。
今年は、行ってみようかな?近くやし♪




ジャルパックツアー
posted by 三度笠 at 18:51| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月19日

武田氏館と甲府城に行ってきました!

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全然更新ができていなくてゴメンナサイ。
実は、夏頃から体調を崩して、心臓病が発覚して入院もしていました。
このブログ、結構、内容が細かいので、ネタは揃っていても書くのが大変なんです(TдT)
そしてまだ、病気から復帰はしていなくて、年明け早々に手術します。。。

という、心臓の病気の間隙を縫って、山梨県は甲府市まで行ってきました( ̄ー ̄)ニヤリ
今年は、自営業もはじめたので、お城に行ったのは、2月の首里城以来かも。。。

それはさておき。
甲府市には、約2つの有名なお城があります。
何故、「約2つ」と書いたかといえば、そのうちの一つは、城であって城でなし。
そんな感じだからです。
その「城であって城でなし」というのは、武田氏館、現在の武田神社、通称・躑躅ヶ崎館です。
武田信虎が築き、戦国最強の武田信玄が産まれ住い、武田勝頼の代までまで使われた武田氏館。
正しくは、その名の通り、武田氏の館ではありますが、その造り(構造)は、城そのもの。
真田丸のヒントにもなったとの説もある?丸馬出も発掘されています。
しかし、人は石垣、人は城と謳った武田信玄ですから、やはり、城ではないのです。
まぁ、攻められもしませんでしたから。

そして、もう一つが、江戸幕府の直轄だった?甲府城。
幕末には、新撰組が騙されて袖にされた甲府城です。
甲府城は、武田氏が滅びてから造られた城で、主に江戸期の城。
武田家滅亡後しばらくは、豊臣秀吉、徳川家康が武田氏館を使っていました。

その武田氏館と甲府城は、一本の道で結ばれています。
実際に歩いてみると、武田氏館が甲府城より高い位置にあり、、、
「引っ越しはさぞかし楽だったろう」とついついいらんことを考えてしまいます。
ただし、武田氏館派の正しい「正面入口」は、現在の武田神社の入り口ではなく、そこから左手に回ったところにあります。
現在は、畑に囲まれ、丸馬出があったところとされています。

ところで、甲府城には、行くのは簡単です。
簡単というか、言ってしまえば、甲府城の中にJR甲府駅がある感じです(笑)
城内を線路が通っちゃった感じです。
まぁ、体を壊している身とすれば、とても行きやすいお城なので、甲府城を選びました(^_^)




ジャルパックツアー
posted by 三度笠 at 23:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月18日

名湯・道後温泉を見下ろす、伊予松山城を旅する 愛媛県松山市

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名湯・道後温泉を見下ろす名城・伊予松山城。
現存12天守のひとつとしても、数えられています。
幾度の火災に見舞われながらも、江戸時代に作られた天守は、今に伝えられています。
戦国時代には存在せず、戦国時代には、ほど近い湯築城を河野氏が支配していました。
この湯築城には、湯釜があり、道後温泉と深い関わりがあります。

松山城は、関ケ原の戦いの後、加藤嘉明が加増により、この地を領することになり、築城を指示したことに始まります。
しかし、残念ながら、加藤嘉明は、松山城完成前に転封となり、完成させることはできませんでした。
松山城を完成させたのは、後任となったの時代。
せっかく完成した松山城でしたが、1642年の松平氏の時代、創建当時5層だった天守は、3層に建て替えられました。
今に残る天守は、この時の3層天守です。

関ケ原戦の後から築城が始まり、江戸時代に完成した松山城ではありますが、松山城についてよく語られるのが、その防御の強力さと敵兵を欺くトリックについて。
大きな門を攻撃させておいて、その門の脇にこっそりと隠してる小さな門から、兵を出して後ろから攻撃させる。
はたまた、天守に向かって歩を進めているはずが、下り坂になってしまい、敵兵を疑心暗鬼にさせたり。
そんな防御のトリックが随所にみられる城でもあります。

現代人には少々、上るのが大変な平山城ではありますが、中腹までロープウエイやリフトで上がることもでき便利です。
松山城を歩いて疲れたら、道後温泉で疲れを癒してください。
松山城から道後温泉へは、坊ちゃん電車でどうぞ。


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松山城21.JPG加藤嘉明像


【入館料】
大人 510円
小人 150円
※リフト、ロープウエイを利用する場合は、セット券あり。
二之丸史跡庭園 大人200円、小人100円



【開館時間】
9時〜。閉館時間は季節により変動。概ね17時。
8月は17時半まで。12月1月は、16時半。
リフト、ロープウエイは、天守開館、閉館時間から、前後30分。



【関連人物】
加藤嘉明
蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)
加藤泰興
松平定行
松平勝善
正岡子規


【名物】
みかん。
坊ちゃん団子。
鯛めし。
海鮮。



【祭り】
松山春祭り(道後温泉祭り)3月。
松山春祭り(お城まつり)4月。
北条鹿島まつり5月。
道後温泉夏祭り8月。
松山祭り(野球拳/野球サンバ)8月。
トライアスロン中島大会8月。
俳句甲子園8月。
道後公園湯築城観月祭10月。
北条秋祭り10月。
松山秋祭り10月。
初子祭り(松山湯神社)1月。
椿まつり2月。



【周辺情報】
道後公園(湯築城跡)
坂の上の雲ミュージアム
子規記念博物館
道後温泉
浄瑠璃寺
西林寺
繁多寺
太山寺
八坂寺
浄土寺
石手寺
円明寺
今治城



【交通】
JR松山駅から、「道後温泉行き」市内電車で約10分、「大街道」下車徒歩5分。
松山市駅から、「道後温泉行き」「環状線大街道方面行き」市内電車で約6分、「大街道」下車徒歩5分。
道後温泉から、市内電車で約10分、「大街道」下車徒歩5分。「路線番号52」伊予鉄道路線バスで約5分、「西一万」下車徒歩3分。
松山空港から、「道後温泉駅前行き」リムジンバスで約30分、「大街道」下車徒歩5分。「路線番号52」伊予鉄道路線バスで約40分、「ロープウェイ前」下車徒歩0分。
松山観光港から、「道後温泉駅前行き」リムジンバスで約30分、「大街道」下車徒歩5分。
三津浜港から、「松山市駅行き」伊予鉄道路線バスで約40分「松山市駅」下車、市内電車で約6分「大街道」下車徒歩5分
松山自動車道・松山ICから、国道33号線(砥部道路)に入り、北へ。天山信号を右へ。800メートルほど進み、小坂信号を左折し、国道11号線に入る。そのまま2キロほど進み、勝山信号(路面電車線路と当たる)を左折。路面電車「大街道」からすぐ。
松山自動車道・伊予ICから、国道56号線(今治街道)に入り、北東方面に進む。市内に入り、西堀端交差点信号を左折し、国道11号線に入る。
路面電車沿いに進み、路面電車「大街道」からすぐ。


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2016年06月27日

七難八苦を与えられてしまった山陰の勇・尼子家の月山富田城を旅する 島根県安来市

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「願わくは、我に七難八苦を与え給え」とは、尼子家家臣・山中鹿之助幸盛が言ったとされる言葉だ。
正直、滅多なことはいうもんじゃないと思う。

鎌倉時代、佐々木氏の城として始まった月山富田城。
1400年代の終わり頃、尼子経久がわずか7人で乗っ取ったことから、尼子氏の本拠城としての始まりだ。
以来、尼子氏は大きく発展し、山陰地方の大半を支配するようになり、西の大大名・大内氏と争うようになる。
戦国時代の下剋上の始まりを、伊勢新九郎こと北条早雲とする人もあるが、尼子経久の月山富田城乗っ取りの方が先で、これを戦国時代の下剋上のはじめと考える人もある。
この尼子氏と大内氏の間で揺れ動き、大内、尼子を滅ぼしてゆくことになるのが、安芸の国人・毛利元就だ。
毛利元就は、難攻不落で、しかも、標高が200メートル近い山全体を天然の要害とした月山富田城を攻めあぐねた。
毛利元就は、知略を働かせ、尼子家の内乱を誘発し、内部崩壊を持って、尼子家を弱体化させていった。
そんな折、「願わくは、我に七難八苦を与え給え」と、山中鹿之助は願った。
その願いが叶ってか、弱体化した尼子家への毛利元就の猛攻は凄まじく、とうとう、月山富田城は落城し、毛利の手に落ちる。
山中鹿之助は、捕らえられつつも、逃走し、再三にわたり毛利家へ挑戦するも、最後に頼った織田信長からの支援を受けきることができず、武将としての尼子家は完全に滅亡する。
しかしながら、尼子の血筋の者が、京都に出て豪商になったと聞いたこともある。

毛利家の城となった月山富田城であったが、毛利家は関ケ原戦を見誤り、大幅に減封されてしまい、月山富田城を手放すこととなる。
その後に入城したのは、堀尾氏であるが、江戸期にはそぐわない城として、月山富田城を廃城とした。
堀尾氏は、祟り?に見舞われながらも、近く松江に城を築いた。
これが、近年、国宝に指定された松江城だ。
松江城築城に当たっては、廃城となった月山富田城も資材として活かされた。
この時期、このように旧城からのリサイクルは当たり前のことであった。
こうして、廃城にはなったものの、月山富田城は、松江城の一部として、今も国宝として脈々と生き続けている。

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※かなりの山道になりますので、足元や、野生動物に気をつけましょう。


【入館料】
建物なし。
但、資料館あり。


【開城時間】
なし。


【関連人物】
佐々木義清
尼子経久
尼子晴久
尼子国久
尼子義久
山中鹿之助
毛利元就
吉川元春
堀尾吉晴


【名物】
日本海の魚介類


【祭り】
広瀬祇園祭(毎年7月中旬〜下旬)


【周辺情報】
市立歴史資料館
米子城
松江城
水木しげる記念館
水木しげるロード
美保神社
美保関灯台
境港
島根県立美術館
足立美術館
安来節演芸館
中海
大根島
由志園



【交通】
JR山陰本線・安来駅より、米子=広瀬線・広瀬バスターミナル行・市立病院前バス停下車か?

山陰道安来道路・安来ICを降りて、県道334号線を1.5キロほど西進。
山陰道安来道路の下の大きな十字路(交差点)を左折し、県道45号線に入る。
そのまま、川を渡り、大きな川に沿い、しながら、県道45号線を8.5キロほど進む。
新宮橋(飯梨川)を渡ってすぐ。
※市立歴史資料館を目印に。


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posted by 三度笠 at 22:36| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月11日

2つの天守を持ちながら、完成までに2度も領主が替わった米子城を旅する 鳥取県米子市

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古くは、室町時代の応仁年間、山名氏によって築城されたと言われる米子城。
現在、城跡として残る米子城の始まりは、毛利元就の毛利氏に繋がる吉川広家による築城による。
1591年から築城が始まったものの、築城途中の1600年、関ヶ原の戦いが勃発する。
吉川氏含む毛利氏一族は、一応は、西軍に属したものの、「秀頼公をお守りする」として、当主・毛利輝元は3万の兵を擁しながらも大坂城にとどまり日和見してしまう。
更に、鳥取城築城中の吉川広家も、関ヶ原の戦場に出向いたものの、大群を率いながらも先頭には参加せず、西軍は、たった1日で敗れてしまう。
吉川家とともに、毛利両川体制の一翼を担うはずの小早川家(当主小早川秀秋は秀吉の甥)は、あろうことか東軍に寝返ってしまう。
この西軍の大敗により、毛利家は、大幅な減封を強いられ、米子城を築城中だった吉川広家は、岩国(今の山口県)に転封になってしまう。
※吉川広家により岩国城が作られるが、完成からわずか7年で破却。
建築途中の米子城は、秀吉政権下で三中老を務めた中村一氏の子・中村一忠が受け継ぐこととなった。
中村一忠は、米子城を完成させたものの、わずか20歳で早逝してしまい、城下町の整備中に大名としての中村家は断絶となってしまった。
その後は、加藤氏、池田氏と城主が変わり、のちに、池田氏の家老・荒尾氏が代々城を管理し、幕末まで続いた。
明治になり、廃城となった。

尚、米子城は、大変珍しく、天守と副天守の2つの天守があったとも言われ、天守は吉川氏が造り、副天守は高尾城(加賀?)からの移築であったという。

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米子城11.JPG古写真に残る米子城


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【入館料】
なし


【開館時間】
なし
※建物なし


【関連人物】
吉川広家
中村一忠
山名氏
加藤氏
池田氏
荒尾氏


【名物】
日本海の魚介類


【祭り】
がいな祭り(8月上旬)


【周辺情報】
米子市立山陰歴史館
月山富田城(広瀬・富田城)
水木しげる記念館
水木しげるロード
美保神社
美保関灯台
境港
足立美術館
安来節演芸館
中海
大根島
由志園


【交通】
JR米子駅を出て、県道28号線を北西へ進む。
800メートルほど進み、加茂町2丁目信号を左折。国道9号線に入る。
100メートルほど進み、久米町信号を右折し、湊山公園に入る。
湊山公園が、米子城址を含む。

山陰道安来道路・米子西ICを出て、国道9号線に入る。
陰田町信号を右折し、そのまま国道9号線を北上。
そのまま2キロほど進み、久米町信号を左折し、湊山公園に入る。
湊山公園が、米子城址を含む。



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2016年05月31日

なんと!信州にも五稜郭?!龍岡城を旅する 長野県佐久市

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五稜郭といえば函館。
そう思っている方も多いでしょう。
侍の歴史の終焉の地となり、日本の歴史の大きな転換点となった、箱館奉行所・五稜郭。
それとは別に、軽井沢に近い、信州・佐久にも五稜郭が存在しました。
それが、龍岡城五稜郭と言われるお城です。
函館五稜郭と同じく五芒星のお城ですが、その規模はとても小さく、星形の一辺は50メートルほどです。

もともとこの地を支配していた松平氏(徳川将軍家の筋ではなく、家臣として松平姓を賜った家柄)は、駿河の方に本拠があり、この地には陣屋を置いていました。
石高は16000石ほどで、そのうち12000石がこの地にありました。
幕末の動乱の際、東海道沿いにあった本拠は戦乱に巻き込まれる可能性があるとして、この地に本拠を移転させることになり、造られたのが龍岡城です。
その際、藩主が、西洋に精通していたため、この星形の五稜郭が造られました。
しかしながら、幕末の動乱に備えて造られたわりには、規模が小さく、石垣も低く、堀の幅も狭いです。
さらに、背後の山から、城のつくりが丸見えという、大きな欠点もあったようです。

この龍岡城五稜郭が造られたのは、函館に五稜郭が造られてから3年後といいます。
出来上がって間もなく、幕府が倒され、廃城となってしまいます。
廃城後は、大台所櫓をはじめ、一部が残されて破却されましたが、後年、領民によって、石垣やお堀が再現されたといいます。
現在、城地は、神社と小学校として、使われています。

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龍岡城08.JPG大台所櫓

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【入城料】
なし。
大台所櫓は連絡すれば見学可能。


【開城時間】
特に閉門時間なし。


【名物】
鯉、鯉料理
信州そば
安養寺ラーメン


【祭り】
榊祭り(毎年8月中旬)



【周辺情報】
小諸城
軽井沢
鼻顔稲荷神社


【交通】
八ヶ岳高原線・臼田駅で下車(龍岡城駅より近い)。
県道2号線を東へ。すぐに県道93号線に変わる。
三分信号を左折(県道93号線のまま)。
十字路に来たら右折(東へ)。
鶴岡橋南信号で川を渡る。
鶴岡橋南信号から100メートルほど進み、十字路を右折すると、石垣が見えてくる。

上信越自動車道・佐久ICで降り、県道9号線に入る(南下)。
そのまま進み、相生町南信号を左折して県道138号線(佐久甲州街道)に入る。
3キロほど何かを続け、滑津大橋信号で国道254号線・平賀バイパスに一旦入る(右折)。
すぐに中込信号があり、左折。中込橋場信号で左折し、県道120号線富岡街道に入り、東進。
※滑津大橋信号から富岡街道に入るまでは、中込駅を囲むように進む。
1キロほど進み平賀信号で右折。この時、県道120号線のままだが、富岡街道からは外れる。
そのまま4キロほど進む(南下)。原信号を確認したら、200メートル先のT字路(新興製作所前)を左折(東へ)。
道なりに600メートルほど進むと、お堀と石垣が見えてくる。周辺に駐車場あり。


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posted by 三度笠 at 19:34| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月24日

大河ドラマのロケ地としても知られる荒砥城を旅する 長野県千曲市

荒砥城01.JPG


大河ドラマのロケ地としても有名な荒砥城。
ある時は、武田晴信(信玄)が初陣し、知略を持って落城させた海ノ口城。
ある時は、織田信長が義理の弟を攻め立てた小谷城として描かれています。

長野県千曲市にあり、山頂からは、千曲川が望めます。
麓は、戸倉上山田温泉として賑わいます。

元々は、村上義清に繋がる村上氏の一族である山田氏によって築かれました。
しかし、村上義清が武田信玄に攻め立てられると、村上義清の葛尾城とともに落城。
村上義清は、上杉謙信を頼って越後に逃れます。
この村上義清の行動が、川中島の戦いに繋がっていきます。

武田信玄に落城させられた荒砥城は、戦功として、屋代氏に与えられます。
武田氏が滅亡すると、屋代氏は上杉景勝に従い、海津城(後の松代城)に移転。
荒砥城には、城番が置かれるようになります。
しかし、屋代氏が、徳川家康に内通すると、荒砥城に籠城。

上杉景勝は、これを攻めます。
堪らず屋代氏は荒砥城に火を掛け、徳川家康のもとに逃れます。
これにて、荒砥城は廃城となりました。
荒砥城自体はなくなってしまいましたが、荒砥城周辺の地域は、上杉氏の人質となった真田信繁(幸村)に領地として与えられました。詳細は不明ですが、何故、人質だった真田信繁に領地を与えたのか、不思議です。
普通に考えれば、真田信繁は、上杉景勝にかなり評価されていたのではないかと思われます。
もしかすると、ゆくゆくは、家臣にしたかったのではないでしょうか?
しかしながら、真田信繁は、上杉氏から豊臣氏の人質として、運命が転々としていきます。


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【入館料】
高校生以上    1人 300円
団体(20名以上) 1人 250円
中学生以下       無  料 




【開城時間】
開門【午前9時】〜閉門【午後5時】
※12月29日〜1月3日は休業


【関連人物】
山田氏
屋代政国
屋代秀正
武田信玄
上杉景勝



【名物】
そば


【祭り】
戸倉上山田温泉夏祭り・煙火大会(毎年7月中旬頃)


【周辺情報】
戸倉上山田温泉
日本歴史館
善光寺大本願別院
坂木宿ふるさと歴史館
上田城
草津温泉




【交通】
しなの鉄道・戸倉駅で下車。
駅を出て、正面の駅入口信号を左折(南へ)。
そのまま1キロほど進み、戸倉上山田温泉入り口信号を右折(西へ)。
千曲川を渡りながら、1キロほど進む。
城山信号をそのまま進み山道に入ると入り口が見えてくる。


上信越自動車道・坂城ICもしくは、更埴ICから、国道18号線に入る。
坂城ICからは、北へ向かう。更埴ICからは、南へ向かう。
戸倉上山田温泉入口交差点から県道498号線に入り、900メートルほど進む。
城山信号をそのまま進み山道に入ると入り口が見えてくる。


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2016年05月21日

第67回姫路お城まつり 〜〜開催中〜〜


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すみません。
告知が遅れました。
姫路城でお城まつり開催中です。
20日金曜日〜22日日曜日までです。
お近くの方は、是非どうぞ。

それと、最近の調査で、
★江戸時代の武家屋敷の遺構
★古代の播磨国の役所「播磨国府」に関連すると考えられる遺構
が、見つかったそうです。

頑張ってますね!姫路♪






posted by 三度笠 at 13:15| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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