2015年03月26日

真田幸村のゆかリある片倉氏の白石城を旅する 宮城県白石市

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はじめ、刈田氏がこの地に居を構える。
いつ頃からか、刈田氏が白石姓を名乗り、伊達家の家臣となる。
秀吉が全国統一を成し遂げると、会津に蒲生氏郷が入り、白石の地には、氏郷家臣である蒲生郷成が入り、白石城を本格的に築城。
1598年には、上杉の領地になり、家臣・甘粕氏が入城する。
しかし、関ヶ原の戦いが勃発すると、伊達政宗は、敵対する上杉氏より、白石城を奪還。
1602年より、伊達政宗の右腕、片倉小十郎景綱が入城する。
以後、明治まで、片倉氏の居城となる。
明治維新には、奥羽越三十一列藩同名がこの城で結ばれる。

大阪の陣での、真田幸村の活躍は有名。
幸村の子としては、真田大助が有名。
しかし、他にも子があり、大阪の陣で敵ながら勇名を馳せた真田幸村の血筋には人気があった。
幕府の手前、おおっぴらにはできなかったが、片倉景綱は、密かに幸村の子を引取り、
男子は姓を偽らせ家臣に取立て、女子は引取り嫁がせるなどした。

幸村自身は、白石の地には縁がなかったが、幸村の血は、この地で受け継がれた。

ってな話は知っていたはずだけど、いざ、白石駅に降り立って、六文銭が見えてビックリ!?
なんでやろ(?_?)って状態でした(^^ゞ

功徳山当信寺には、真田阿梅、真田大八の墓が残されています。
白石城を見ながら、真田氏の足跡をめぐるのもいいかもしれません。

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白石城大櫓(天守とは言わなかったそうです)。
現在の大櫓は、1995年に復元されたもの。
東日本大震災で被害を受けましたが、修復は終了しました。

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白石城05.JPG白石城大櫓内部。

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【名物】
温麺(油を使わずに作った短いそうめんのような麺)
こけし

【周辺情報】
白石城歴史探訪ミュージアム(城内)
神明社(城内)
三荒神社(城内)
功徳山当信寺など
蔵王
蔵王スキー場
蔵王温泉

【祭り】
白石城桜まつり(4月)
片倉鉄砲隊火縄銃演舞・城の会(5月)
鬼小十郎まつり(10月)

【交通】
JR白石駅から西へ徒歩15分
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路上の案内。所々にあり、お城までとても行きやすい。

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白石駅の真田幸村ゆかリの幟




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posted by 三度笠 at 19:57| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月20日

秀吉に謁見するために荒れる大井川を泳いで渡った戸沢盛安が領した角館城を旅する 秋田県仙北市角館

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若くして咲き、若くして散った、戸沢盛安が領した角館城。
あまり、メジャーではない、武将とは思います。
信長の野望的には(笑)、戦闘力は高くないが、騎馬特性はSランクの北方の武将。

秀吉の小田原征伐に際して、増水する大井川を強引に渡り、いち早くと秀吉に謁見したという逸話が残る勇将です。

角館城については、あまり、記述はありません。
現地でも、説明が全くない状態で、地図を見ると「角館城址」という記述があり、行ってみたというのが、正直なところ。

角館築城は、1400年代の半ば頃。
1578年、盛安が家督を継ぐと、小野寺氏、秋田氏(安東氏)と争いながら勢力を拡大。確固たる基盤を築いた。
盛安は、「鬼九郎」「夜叉九郎」と称され恐れられた。
秀吉による小田原征伐の際には、商人の姿に変装し、秀吉のも元に駆けつけ、4万4千石の所領を安堵されが、盛安は、小田原城落城を目前に25歳で病没する。

関ヶ原の際には、戸沢氏は東軍につき、上杉軍を攻撃。家名を保ったが、戦後、転封。
継いで、佐竹氏が入封。
角館城には、家臣・葦名盛重(義広)が一万五千石で角館城主となったが、
1620年、一国一城令によって廃城となった。

1656年、佐竹北家の佐竹義隣が角館に入り、「みちのくの小京都」と呼ばれる町並みを築いた。

角館城-02.JPG

現在の角館城は、「古城山城址」とされていますが、あまり整備もされず、遺構も残っている感じはありません。
木造の階段を登っていきますが、本当に城跡なのかと猜疑心を覚えるほど(笑)

角館城-03.JPG
こんな写真ですが、かなり険しい道のりです。夏、汗だく。。。

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こんな風景が見えたところで、東屋を発見!

とりあえず、東屋まで登ってみましたが、その先へ進んで何があるのかも不明で止めました。
どうも、広い平地があったようでしたが、迷うとこの後の行程に差し支えるので止めました。
熊が出てきても困るし。。。って、ホンマ、そういうレベルです。
「入り口です」とはあっても、その先に案内やら、遺構やらがないのは、
ホンマに恐ろしい((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル


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東屋。東屋からの先の道は草木で見えず。。。

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東屋から、角館の街を見下ろす。

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その2。


■周辺情報
角館・重要伝統的建造物群保存地区
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角館・重要伝統的建造物群保存地区風景1

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角館・重要伝統的建造物群保存地区風景2

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角館・重要伝統的建造物群保存地区風景3


■名物
もろこし(唐土、小豆を粉にして固めたお菓子)
いぶりがっこ
稲庭うどん

■祭り
国指定重要無形民俗文化財「角館祭りのやま行事」
毎年9月7、8、9日

■交通
JR秋田新幹線、JR田沢湖線、角館駅より、北北西約1.5キロ。
角館・重要伝統的建造物群保存地区・武家屋敷通り先。
自動車では、県道250号線、国道46号線の交差場所、天理教桂城文教舎・目安。




角館へのお越しは、是非新幹線でどうぞ。
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posted by 三度笠 at 13:06| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月18日

真田昌幸が沼田攻略の足掛かりとした小川城を旅する 群馬県みなかみ町

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1492年頃、沼田氏が築城する。
二代城主小川景祐は素行悪く、追放され、一度復帰するも沼田城を攻撃するなどした末に落命。
四代城主景奥の頃、小田原北条氏が侵攻。
1520年、景奥長子・景季は兵火により焼死する。
1524年には、景奥も戦死。
城主を継ぐものはなかったが、客分として城内にあった赤松祐正が才能を認められ、上杉謙信の裁可を得て、景季の後家と妻せられ小川可遊斎と名乗り、城主となる。
1547年、沼田勢は、北条氏に破れ、敗走。
時を経た、1580年、沼田勢は北条氏に挑み、可遊斎の戦略をもって大勝利をおさめ、小川城を回復。
しかし、同年、北条氏邦は、数倍する兵力をもって小川城を攻める。
城は焼かれ、多数の戦死者を出すも、城を捨てきることができず、かねてより用意してあった見城の柵に籠り激しく抵抗するも叶わず敗走。
その後、支配が変わり、小川城には、真田昌幸配下として、小川氏の門葉・北能登守が1592年頃まで在城。
江戸期には、沼田真田氏の管理下にあったが、時を経て廃城となった。

名胡桃城のおじさんが話してくれた内容に拠れば、真田昌幸の沼田城攻略の足がかりとしたのが小川城なのだそうです。

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えー。ワタクシ、炎天下の中、名胡桃城から歩いてまいりました(^^ゞ
やたらと立てられた、小川城址の幟が盛大に?お出迎え。

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畑の中に、二之丸濠址。道路の一部が濠址みたいです。
この畑側が二之丸みたいです。

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建物はありませんが、お堀の後は、ふんだんに残ってます。

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写真左手に東屋があります。

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由来書。なかなかまとめるのに難しい文章でした(^^ゞ
終盤の件が、かなり不明瞭な書き方。。。(TдT)

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本丸の東屋には、現役のお堀が大量に!!!
あ。蟻地獄(ウスバカゲロウ)の罠でした(^^ゞ


■周辺情報
名胡桃城
沼田城
月夜野ホタルの里
月夜野郷土資料館
月夜野矢瀬親水公園
水上温泉

■交通
最寄り駅 新幹線上毛高原駅、JR後閑駅
自動車では、奥利根ゆけむり街道から、月夜野矢瀬親水公園を経て南下。




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posted by 三度笠 at 22:50| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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