2016年06月11日

2つの天守を持ちながら、完成までに2度も領主が替わった米子城を旅する 鳥取県米子市

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古くは、室町時代の応仁年間、山名氏によって築城されたと言われる米子城。
現在、城跡として残る米子城の始まりは、毛利元就の毛利氏に繋がる吉川広家による築城による。
1591年から築城が始まったものの、築城途中の1600年、関ヶ原の戦いが勃発する。
吉川氏含む毛利氏一族は、一応は、西軍に属したものの、「秀頼公をお守りする」として、当主・毛利輝元は3万の兵を擁しながらも大坂城にとどまり日和見してしまう。
更に、鳥取城築城中の吉川広家も、関ヶ原の戦場に出向いたものの、大群を率いながらも先頭には参加せず、西軍は、たった1日で敗れてしまう。
吉川家とともに、毛利両川体制の一翼を担うはずの小早川家(当主小早川秀秋は秀吉の甥)は、あろうことか東軍に寝返ってしまう。
この西軍の大敗により、毛利家は、大幅な減封を強いられ、米子城を築城中だった吉川広家は、岩国(今の山口県)に転封になってしまう。
※吉川広家により岩国城が作られるが、完成からわずか7年で破却。
建築途中の米子城は、秀吉政権下で三中老を務めた中村一氏の子・中村一忠が受け継ぐこととなった。
中村一忠は、米子城を完成させたものの、わずか20歳で早逝してしまい、城下町の整備中に大名としての中村家は断絶となってしまった。
その後は、加藤氏、池田氏と城主が変わり、のちに、池田氏の家老・荒尾氏が代々城を管理し、幕末まで続いた。
明治になり、廃城となった。

尚、米子城は、大変珍しく、天守と副天守の2つの天守があったとも言われ、天守は吉川氏が造り、副天守は高尾城(加賀?)からの移築であったという。

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米子城11.JPG古写真に残る米子城


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【入館料】
なし


【開館時間】
なし
※建物なし


【関連人物】
吉川広家
中村一忠
山名氏
加藤氏
池田氏
荒尾氏


【名物】
日本海の魚介類


【祭り】
がいな祭り(8月上旬)


【周辺情報】
米子市立山陰歴史館
月山富田城(広瀬・富田城)
水木しげる記念館
水木しげるロード
美保神社
美保関灯台
境港
足立美術館
安来節演芸館
中海
大根島
由志園


【交通】
JR米子駅を出て、県道28号線を北西へ進む。
800メートルほど進み、加茂町2丁目信号を左折。国道9号線に入る。
100メートルほど進み、久米町信号を右折し、湊山公園に入る。
湊山公園が、米子城址を含む。

山陰道安来道路・米子西ICを出て、国道9号線に入る。
陰田町信号を右折し、そのまま国道9号線を北上。
そのまま2キロほど進み、久米町信号を左折し、湊山公園に入る。
湊山公園が、米子城址を含む。



[ここに地図が表示されます]











posted by 三度笠 at 23:11| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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