2016年05月15日

戦国最強の上杉謙信の気の小ささがわかる?春日山城を旅する 新潟県上越市

春日山城-01.JPG

「戦国最強」
と言ったら、誰なのか?
武田信玄?
真田幸村?
島津義弘?
色々な意見があるでしょう。

その中でも一番多くの人が挙げるのは、上杉謙信ではないでしょうか?
上杉謙信といえば、兄から家督を、半ば奪って以来、出る戦、出る戦で、連戦連勝。
農閑期の度に関東に出陣しては、関東の大名たちを引き連れ、関東の秩序を回復させた。

と、書けば、まぁなんて凄い武将なんだと思うでしょうが。。。
いちいちしゃしゃり出られていては、関東の覇権を争う関東の大名からしてみたら、迷惑この上ない。。。

そんな迷惑なほど強かった上杉謙信ではあったが、その居城についてみてみると、気の小ささを感じさせる。

上杉謙信の居城だった春日山城があった春日山に登ると、随分険しい山だなと思わざるをえない。

ライバルと言われる武田信玄は城を持たず、居館・武田氏館(躑躅ヶ崎館)に寺や簡易な城のような堀を設けただけだった。
その高い防御力で上杉謙信を蹴散らした北条氏の小田原城は、城郭は巨大であったが、平城の部類だ(もしくは平山城)。

上杉謙信の居城・春日山城は、高く険しい春日山の全山を城郭化させた城で、上杉謙信が存命中は常に拡張工事を継続していたという。
しかしながら、春日山城には、石垣はなく、空堀をいくつも儲けているのが基本形。
現在は、すべての建物は失われ、全容はわからない。

もっとも、この春日山城は、上杉謙信が造ったものではなく、上杉謙信よりももっと昔、南北朝時代に築かれた城であった。

そして、上杉謙信には、城を堅固にして置かなければいけない理由もあった。
もちろん、ライバルと言われる武田信玄の侵攻に備えるという理由もあっただろう。
※ただし、武田信玄は、上洛戦を展開したものの、越後侵攻は実行していないと思われる。

しかし、いちばんの理由は、家臣の裏切りが非情に多かったこと。
農閑期、つまり、冬になれば、毎年のように出兵していた。
その間に、裏切った家臣に春日山城を落城させるわけには行かない。
しかも、関東に出兵しているのだから、そうそう帰れない。

更に、上杉謙信は、悩みごとがあると、城内にあった毘沙門堂に籠もったり、家臣が言うことを聞かないと、怒って高野山に身を隠したりしている。
そんな状況が度々起こっていては、城の強化を続けざるを得ない。

ところで、上杉謙信は、馬上でも酒を煽るほどの酒好きだったという。
上杉謙信の死因は、酒が祟っての脳出血だったのではないかと言われる。

結局のところ、上杉謙信は、城の強化には余念がなかったが、自分自身の存在が、最大の防御であることを理解していなかった。

上杉謙信が、織田信長が伸長する中、中途半端な状態で急死したことで、御館の乱が起こり、上杉家は弱体化してしまった。
ギリギリのところで織田信長が横死していなければ、滅亡もありえたに違いない。

ところで、現在の春日山城は、城の面影はあまりなく、土塁空堀に、そこが城であった名残を感じる。
しかしながら、安土城のように札が立っており、上杉景勝邸跡、上杉景虎邸跡、直江家邸跡などが示されている。
春日山城-02.JPG


春日山城-03.JPG


春日山城-04.JPG毘沙門堂


春日山城-05.JPG上杉謙信も祈ったとされる毘沙門天像


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春日山城-13.JPG


【入館料】
なし


【開館時間】
なし(建物なし)


【名物】
どぶろく、地酒
笹だんご
笹飴
蒲鉾類
伝統工芸「組子」


【関連人物】
上杉謙信(長尾景虎、上杉政虎)
長尾為景
長尾政景
上杉景勝
上杉景虎
宇佐美定満
直江兼続


【祭り】
高田城百万人観桜会[高田公園](毎年4月上旬〜中旬)
上越まつり(毎年7月23日〜29日)
上越蓮まつり(毎年7月〜8月)
謙信公祭(毎年8月下旬)
城下町高田 花ロード(毎年10月上旬)
越後・謙信SAKEまつり(毎年10月下旬)
レルヒ祭(毎年2月上旬)


【周辺情報】
越後高田城
五智国分寺
春日山神社
林泉寺
直江津


【交通】
妙高はねうまライン・春日山駅で下車し、西口(西方面へ)を出て700メートルほど進む。
信号のあるT字路を右折(北へ)し、300メートルほど進む。
川を越えて県道180号線に出たら、左折し(西へ)、道なりに1500メートルほど進む。

北陸自動車道・上越ICを降りて、国道18号線を北へ1キロほど進む。
三田信号を左折(西へ)し、県道43号線を関川を越えながら進み、上越市役所、春日山駅を越えながら、3キロほど進む。
信号のあるT字路を右折(北へ)し、300メートルほど進む。
川を越えて県道180号線に出たら、左折し(西へ)、道なりに1500メートルほど進む。


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posted by 三度笠 at 21:15| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月04日

江戸時代の牢獄の城・越後高田城を旅する 新潟県上越市

高田城1.JPG


高田城(越後・高田城)は、徳川家康の六男・松平忠輝のために徳川家康が天下普請にて造らせたお城。
出発こそ、60万石ないし75万石の城ではあったが、松平忠輝の謎の改易により、以後の運命は暗転する。

縄張りは、松平忠輝の舅・伊達政宗による。
松平忠輝は、生まれた時から、父・徳川家康に嫌われていた。
同様の兄・結城秀康(松平秀康)同様、父・家康から、徳川姓を許されることはなかった。
結城秀康は、関ヶ原戦後、毒殺とも噂される謎の病死を遂げている。
松平忠輝は、父・家康の死後、兄・徳川秀忠によって、突如、改易を言い渡され、最終的には、諏訪に幽閉され、93歳まで生きた。

松平忠輝の改易、越後騒動などで、悪い印象がついた高田城は、以後、不祥事を起こした大名の転封・減封先の城としての役割を持つようになってしまった。

そもそもの、松平忠輝の改易は何故だったのか、諸説ある。
個人的にもっとも理由と思えるのは、舅が伊達政宗であったこと。
伊達政宗は、豊臣秀吉、徳川家康に仕えることになったが、完全服従する人物ではなかった。
越後高田75万石の松平忠輝、そして、伊達政宗の領地を合わせると、150万石に達する。
隙あらば天下を手中にしたい伊達政宗、幕府に不満を持っている可能性がある松平忠輝が、手を組む可能性は少なくない。
ましてや、身内から足元を揺るがせられては、家康亡き後の幕府はおぼつかない。
そこで、徳川秀忠は、松平忠輝を改易することにした。
そう考えるのは、とても自然のような気がする。
亡くなってい入るが結城秀康から続く、越前松平家も存在する。

そもそも、幕府は、大坂の陣の後、多くの大名を改易させている。
広島の福島正則などは、代表例だ。
当然、外様ばかりを改易させていると、次第に不満も募ってくる。
そこで、身内の大名も改易すれば、多少の不満軽減策にもなる可能性もある。

さて、高田城であるが、前述のとおり、縄張りは、伊達政宗によるもの。
大きな堀を持っていたが、石垣は組まれず、土塁を張り巡らせている。
ちなみに、徳川時代に入ってから築城された城は、石垣を持たないものは多い。
土井利勝の佐倉城、徳川光圀、徳川斉昭、徳川慶喜を排出した水戸城など。
理由は、城に拠り諸説あるが、個人的には、予算の都合も大きな要因とお思う。
水戸城は、築城(正確には改築)当時から、予算がなかったという。
実際、戦国時代には、貿易や金の採掘が盛んになり、日本はゴールドラッシュだった。
だからこそ、鉄砲を大量に生産するなど、戦費も多くあったが、バテレン追放令が出た頃には収束しつつあった。
また、高田城は、天守も築かれず、三層櫓を天守の代わりとした。
75万石を領しながら、天守も石垣もないとは、少し寂しく思う。

時代が下り、明治になると、本丸御殿、天守の代わりとなっていた三層櫓が消失。
更に廃城令に伴い、消失を免れた他の建物も解体された。
つづいて、陸軍の軍用地とするため、土塁を壊し、堀が埋め立てられた。
他に堀には、明治になって職を失った氏族のために蓮の栽培地となったが、のちに廃止された。
平成になると、三層櫓や極楽橋が復元されたが、江戸城の富士見櫓を模したと言われる三層櫓は、黒を貴重にした櫓として復元された。
資料がないので不明ではあるが、江戸城の櫓を模していれば、白亜の櫓であったのではないかと思われるし、一般に、豊臣時代の城は黒ベース、徳川時代の城は白ベースと言われているので、少し違和感が残る。

現在では、明治時代に植えられた桜から続き、桜の名所となり、蓮の栽培の名残で、蓮が咲き乱れ、蓮祭りが行われている。
尚、城地は、高田公園として整備されたり、中学校が置かれるなどしている。


高田城2.JPG極楽橋


高田城3.JPG


高田城4.JPG


高田城5.JPG


高田城6.JPG


高田城7.JPG


【入館料】
三層櫓のみ有料
一般 300円
小中高生 150円
※いずれも団体割引あり(約半額)


【開館時間】
三層櫓のみ 午前9時〜午後5時


【名物】
どぶろく、地酒
笹だんご
笹飴
蒲鉾類
伝統工芸「組子」


【関連人物】
松平忠輝
いろは姫
伊達政宗
酒井家次
松平光長
稲葉正往
戸田忠真
松平定重
榊原政純


【祭り】
高田城百万人観桜会[高田公園](毎年4月上旬〜中旬)
上越まつり(毎年7月23日〜29日)
上越蓮まつり(毎年7月〜8月)
謙信公祭(毎年8月下旬)
城下町高田 花ロード(毎年10月上旬)
越後・謙信SAKEまつり(毎年10月下旬)
レルヒ祭(毎年2月上旬)


【周辺情報】
春日山城(上杉謙信の居城)
五智国分寺
春日山神社
林泉寺
直江津


【交通】
妙高はねうまライン・高田駅で下車し、県道38号線を東へ700メートル程進む。
駅入口信号を右折(南へ)。県道579号線(上越大学通り)を600メートル程進み大手町信号を左折(東へ)。
県道38号線を東へ600メートルほど進んで左手が極楽橋で入口。

上信越自動車道・上越高田ICで降りて、東へ(県道85号線)2キロほど進む。
高田新田信号を左折(北へ)し、県道579号線(上越大学通り)に入り、1.5キロほど進む。
大手町信号右折(東へ)し、県道38号線を東へ600メートルほど進んで左手が極楽橋で入口。


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posted by 三度笠 at 18:15| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月30日

真田信之が失意の中から発展させた10万石の松代城を旅する 長野県長野市

松代城01.JPG
関ヶ原の戦いの際、上田城を本拠としていた真田家は、家名存続のため、真田昌幸・真田信繁(幸村)親子と、真田信之とが別れ、それぞれ、西軍、東軍についた。
西軍についた真田昌幸・真田信繁は、上田城に籠もり、東軍・徳川秀忠が率いる38000を迎え撃った。
その秀忠軍の中に、真田信之もあった。
真田信之は、上田城の開城交渉にあたった。
真田信之は、東軍に付くに際し、父と弟が籠る上田城及び上田10万石を安堵されていた。
徳川秀忠軍は、上田城攻略にこだわり、関ヶ原戦に遅参したが、関ヶ原戦は、東軍が勝利し、真田昌幸・真田信繁親子は、上田城から退去。替わって、真田信之が上田城に入った。
上田城を拝領した真田信之は、父から受け継ぐ形になった上田を、さらなる発展に導いた、、、のも束の間。
幕府からの命により、松城10万石へ国替えとなった。
以後、信之の真田家は、幕末まで、松代を領することになる。

真田信之が転封されることになった松代城は、もとは海津城といった。
海津城には、真田家も縁があった。
というのも、海津城は、真田が2代にわたって仕えた武田信玄が上杉謙信の侵攻に備え、川中島防衛のために、山本勘助に縄張りをさせ、信玄股肱の臣・高坂弾正を入れた城であった。

川中島の戦いは、大名刹・善光寺の取りあいとも言われた。
その善光寺に近い松代を信玄に仕えた真田家が拝領し、真田家が善光寺の外護職を務めたというのは、何かの因縁であろうかとも思う。

そして、父・真田昌幸、弟・真田信繁の無念を知る真田信之が領した松代から、幕末の思想家・佐久間象山が現れ、倒幕派に多大な影響を与えたというのも、また、何かの因縁であろうか?

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【入館料】
なし
※ただし、周辺施設は必要。



【開館時間】
午前9時〜午後5時



【名物】
信州そば
おやき

松代焼(陶器)



【祭り】
松代藩真田十万石まつり(毎年10月頃)
長野灯明まつり(毎年2月頃)



【周辺情報】
真田宝物館
真田公園
旧真田邸
旧横田家住宅
松代城下町
象山記念館
池田満寿夫美術館
善光寺
川中島合戦場
オリンピックスタジアム(旧長野オリンピック開会式会場)



【交通】
JR信越本線篠ノ井駅を出て、東へ進み、県道385号線を進む。
千曲川に出て右折(南)。
国道403号線に出たら左折し東へ進む。
そのまま上信越自動車道沿いに進み、上高相信号を右折(南東方向、県道35号線)。
荒神町信号を右折(西へ、細い道に入る)。道なりに400メートルほど進むと到着。

上信越自動車道・長野ICで降り、長野インター信号を左折(南へ、県道35号線)。
400メートルほど進み、長野インター南信号を右折(南西方向、国道403号線)。
100メートルほど進み、上高相信号を左折(南東方向、再び県道35号線)。
荒神町信号を右折(西へ、細い道に入る)。道なりに400メートルほど進むと到着。


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2016年04月28日

岡山城の花風景


岡山城と花1.JPG



岡山城の花風景です。
これは、風薫る5月の様子。
実際は、岡山城自体には、それほど花は多くないと思いますが、
なんといっても、日本三名園のひとつ、岡山後楽園が控えています。
最初の写真は、岡山城天守の入り口ですが、その他は、岡山後楽園から。
岡山後楽園。もちろん、大名庭園ですから、お城の一部でもあります(*^_^*)



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2016年04月21日

佐倉城の桜風景


佐倉城の桜風景01.JPG



成田空港からほど近い、千葉県佐倉市にある佐倉城の桜風景です。
「佐倉」と「桜」文字は違いますが、名前負けしないように?桜の名所となっています。
が、この佐倉城、建物は残っていないし、更に、石垣がないお城です。
なので、一見すると、丘陵を活かした公園のように見えます。
石垣がなく、土塁・空堀が中心のお城で、姥が池と裏に降りるとお堀の名残の沼?があります。
江戸時代になってから作られたお城で、幕臣の土井利勝が作ったお城です。



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2016年04月20日

頑張れ、熊本&熊本城!

熊本城01.JPG



4月14日から続く、一連の地震で、熊本城が、壊れてしまいました。
城好きとして、あれほど立派なお城が壊れてしまうのは、とても悲しいです。
修復するのも大変だろうなとは思います。

でも、きっと、一連の地震が収まったら、早いうちに直してもらえると思いますし、そう願っています。
きっと、熊本城目当てに熊本に行く観光客はとても多いと思うし、
熊本市民の方々には、毎日見える熊本城は、きっとかけがえのないシンボルだと思うから。

熊本城の大天守の瓦が剥がれ落ちて、とても悲しい気持ちになりました。
けれども、あれは、あれで良いそうです。
軽度の地震では、瓦の重みで、建物自体を支えていますが、
今回のような地震では、瓦を落とすことで建物全体の重みを減らして、倒壊を避けているそうです。
400年前の先人の知恵ですが、ものすごい知恵だと思います。

お城、天守閣といえば、重要な軍事施設。
例えば、戦国時代なら、大地震が起きたからといって、防御力が下がってしまっては、国の存続に関わるわけです。
大きな地震が起きても、倒壊を防ぎ、防御力をむざむざと下げることはしない。
本当に凄い技術だと感心しっぱなしです。

話は逸れましたが、きっと、熊本市の皆さんのシンボルだった熊本城。
早く地震が収まって、早く直して貰えるよう、心から願っています。

熊本城に行った時、空堀で、お父さんとお子さんが、
5月の優しい陽射しの中、自転車の練習をしていた光景が瞼に浮かびます。





posted by 三度笠 at 22:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月19日

ゴールデンウイークに小田原城で「北條五代祭り」が開催されます。


北條五代祭り2016.jpg



ゴールデンウイークの5月3日に、小田原城で、北條五代祭りが開催されます(*^_^*)
北条早雲から始まる、後北条氏のお祭りで、タレントさんのゲストも来るようです。
小田原城もリニューアルになるので、是非どうぞ♪

小田原城のついでに、豊臣秀吉が小田原攻めの際に造った「一夜城」跡にも是非。

そして、小田原城名物・「ういろう」(外郎)もどうぞ。
小田原城の近くに、伝統的な老舗もありますよ(*^_^*)






posted by 三度笠 at 19:20| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月18日

戦国・真田概論 その14 真田幸隆・真田昌幸・真田信之・真田信繁(幸村)


真田・松代城.JPG
真田信之が移封され、幕末まで続いた真田家の松代城



その後の真田家。
大阪夏の陣で徳川方についた信之の真田家(信吉)は、大坂夏の陣で30人を超える有力家臣を失いながらも、30人に迫る大坂方の有力武将を打ち取り、めまぐるしい戦果をあげ、徳川家臣としての面目を保った。
関ヶ原以降、上田城を任され、城下の発展に力を注いでいた真田信之であったが、松代への移封となった。
その後の上田城は、真田時代のものは大方処分され、新たに作り直された。
松代城の前進は、武田信玄が上杉謙信と対峙するために川中島に造った海津城。
真田信之存命中にお家騒動が起こり、真田家は、松城10万石、沼田3万石に分裂する。
この時に、真田信之は立ち会ったが、それが終わった直後、93歳という当時としては異例の長命で死去した。
真田信之は、「最後の戦国武将」として人気があったともいう。
沼田3万石は、後に、一揆が起こり改易された。

松代藩真田家も、財政難に陥るが、恩田杢の差配により乗り切った。
あまり知られていないが、上杉家の上杉鷹山と並び称された。
松代藩真田家は、幕末まで続き、幕末には、希代の思想家・佐久間象山を排出し、吉田松陰などに影響を与え、後の討幕運動に繋がった。

大阪夏の陣で討ち死にした真田信繁ではあったが、「真田日の本一の兵」と島津に称され、武将としての人気が高まった。
真田信繁には、同じく大坂夏の陣で切腹した真田大助(幸昌)の他にも多く子があった。
正室だった大谷吉継の娘は、京都で死去したが、大谷吉継の娘との間にも受けた、真田大八は、伊達政宗の片腕だった片倉景綱に引き取られ、片倉守信を名乗り、仙台真田家の始祖となった。
真田信繁の多くの娘も片倉家に引き取られ、それぞれ嫁ぐなどしている。
片倉景綱から続く片倉家が領した白石城周辺には、真田信繁の娘の墓とされる墓が存在している。
仙台真田家も、幕末まで続いている。

真田信繁の活躍と、死を惜しむ声は、当初から続いた。
「真田日の本一の兵」と謳われたこともその一つであり、真田信繁が幼い秀頼の手を引き、大坂から逃れ、薩摩を経て、今のフィリピンなどへ逃れたと歌うものもあった。
真田信繁が、「真田幸村」と呼ばれるようになったのは、いつのことからかはわからない。
真田信繁が大坂城に入城した時から名乗ったとも言われるが、江戸時代の判官びいきがあったのかも知れない。
明治時代に成ると、真田幸村(信繁)の神出鬼没の戦い方から着想された「真田十勇士」が作られ、その頃から「真田幸村」となったのかも知れない。

真田信繁(幸村)の墓とされるものは、まるで、源義経のように各地にある。
そういえば、源義経も、平泉から逃れ、海を渡り、チンギス・ハーンになったとの伝説がある。
真田信之が領した松代には、第4次川中島の戦いで命を落とした武田信玄の弟・武田典厩信繁を供養するために建てられた「典厩寺」がある。
この寺に、同じ名前を名乗った真田信繁の墓もしくは供養塔が、真田信之の手によって、ひっそりと建てられたとの噂もある。


--- おしまい ---








posted by 三度笠 at 12:05| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月16日

江戸城・千鳥ヶ淵近辺の桜風景


江戸城・千鳥ヶ淵の桜風景1.JPG



旧江戸城・千鳥ヶ淵の近辺の桜の風景です。
桜の季節には、東京の桜の名所として、いつも話題になっています。
九段下の駅を降りて、すぐに北の丸公園(門をくぐれば日本武道館)、道路を渡れば靖国神社、曲がって入れば、千鳥ヶ淵。
近隣には、各国の大使館が立ち並んでいます。
江戸城の桜の名所として有名ではありますが、江戸城のお堀をぐるりと回っても、ずっと桜の名所です(笑)
更に最近では、桜の季節(と、紅葉の季節)には乾通りも開放されるようになりました。
、、、まだ、通ったことはないですが(^^ゞ



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江戸城・千鳥ヶ淵の桜風景5.JPG



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2016年04月13日

館山城の桜風景


舘山城の桜1.JPG



千葉・房総半島の先端にある、館山城桜の風景です。
天守まで登らない手抜きでゴメンナサイm(_ _)m
でも、麓に多く植わっていました。
南房総では、桜の名所のようで、臨時駐車場を出して、交通整理もされていました。
でも、交通整理の方の制服が地味で、工事中なのかと思っちゃいました(^^ゞ
お花見の交通整理なら、もうちょっと、いい感じの服装で交通整理してほしいなぁと、ちょっと思いました(^^ゞ



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舘山城の桜3.JPG



舘山城の桜4.JPG



舘山城の桜5.JPG






posted by 三度笠 at 18:59| Comment(0) | 城と花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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