2015年12月14日

徳川 vs 武田の激戦から生まれた横須賀城を旅する 静岡県掛川市

横須賀城1.JPG


あまり知られていませんが。
甲斐・武田氏の最後の当主・武田勝頼。
実は、父・武田信玄を越える版図を築いていました。
その武田勝頼と徳川家康の激戦地が高天神城です。
この度重なる徳川 vs 武田の争いの中で築かれたのが横須賀城です。
徳川家康に命じられた家臣・大須賀康高が築いたのが横須賀城の始まりで、前日の通り、武田氏が守る高天神城を抑えるために築かれました。

武田氏が滅亡し、その当初の役目を終えた後も存在し、のべ8家20人の城主を迎え明治まで続きます。

築城当初は、目の前に湊を持つ海城であったものの、江戸時代の宝永年間に起きた宝永地震の際に湊が隆起してしまい、湊がなくなってしまいました。

天守は、三層四階であったそうです。
また、石垣には、天竜川より運ばれた玉石垣を使用し、全国的にも大変珍しい石垣として残されています。


横須賀城2.JPG


横須賀城3.JPG


横須賀城4.JPG


横須賀城5.JPG



横須賀城6.JPG


横須賀城7.JPG


横須賀城8.JPG


横須賀城9.JPG


【入館料】
なし



【開館時間】
なし



【名物】
お茶



【祭り】
掛川祭(こまつり)
掛川大祭(おおまつり)※3年に一度



【周辺情報】
掛川城
高天神城
可睡斎
袋井宿



【交通】
JR袋井駅の西より、県道41号線に入る。
石津八幡神社を右に見ながら更に進む。
そのまま600メートルほど進むと、Y字路があるので、右へ進む。
約500メートルで到着(左手)。

東名高速道路・袋井ICで降り、県道61号線を右折。
1.5キロほど進み、川井信号を左折。
500メートルほど進み、袋井中学北信号を右折すると、県道41号線に入る。
以下、上と同じ。



[ここに地図が表示されます]


美食市株式会社


posted by 三度笠 at 18:43| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月09日

島津77万石の不思議な城、鶴丸城(鹿児島城)を旅する 鹿児島県鹿児島市

鶴丸城1.JPG

島津77万石の城、鹿児島城です。
通称を鶴丸城といいます。
この城は、大変珍しい城で、城の背後に標高100メートルを越える城山を控えながら、麓の平地に簡素に建っていたお城です。
鹿児島城単独では、防御力は低く、周辺に配置した家臣の屋敷などが軍事基地となり、連携することで高い防御率を目指したといいます。
背後に控える城山には、軍事施設がなかったようです。
もしも、万が一の時には、城山に逃げ込む算段もあったのではないかとは思われます。
城としての構成も、堀は少なく、石垣も少なく、櫓も少なく、門があり、主に御殿があったようで、籠城するには不向きです。
ほぼ、島津家の御殿といった感じだったのではないでしょうか?

この城は、1602年、島津家久(忠恒)によって築かれました。
この家久は、島津4兄弟の家久ではなく、島津4兄弟の次男・島津義弘の子で、長男・島津義久の婿養子になった島津家久です。

1600年に勃発した関ヶ原の戦いにて、西軍に属した島津義弘は少数で徳川軍を中央突破。
見事に落ち延び、薩摩(鹿児島)まで落ち延びます。
将軍・徳川家康は、島津に対し本領を安堵したことから、義弘から家督を継いだ家久が築城を開始します。
しかし、関ヶ原戦で中央突破した経緯もあることから、天守は築かれませんでした。

以降、明治まで島津家の居城となります。
明治以降には、西郷隆盛が率いた西南戦争があり、この時の傷跡が石垣に残り、また背後の城山には、西郷隆盛が起居した西郷洞窟があります。
そこからわずか北に行ったところには、西郷隆盛終焉の地があり、つまり、ここは、日本の内戦の最後の地でもあります。


鶴丸城2.JPG


鶴丸城3.JPG


鶴丸城4.JPG2015年12月には発掘調査中でした。

鶴丸城5.JPG階段を登った先は、現在は黎明館になっています。




【入館料】
城としての施設はありません。
その他、城地にある「鹿児島県歴史資料センター黎明館」等は有料(一般310円他)。



【開館時間】
城としては、休館日等はなし。
黎明館は、午前9時〜午後6時。
月曜と毎月25日は定休日。12月31日〜1月2日は休館。



【名物】
さつまいも
さつまあげ
かるかん(軽羹)
薩摩の黒豚
芋焼酎
などなど沢山。



【祭り】
おはら祭(11月上旬)



【周辺情報】
黎明館(城内)
仙巌園(大名庭園、島津家の明治期の御殿など)
尚古集成館(島津斉彬の集成館事業の展示)
照国神社(島津斉彬・祭神)
天文館(商店街)
桜島
霧島温泉
霧島神宮
などなど沢山。



【交通】
JR鹿児島中央駅から市内巡回観光バス・薩摩義士碑前下車すぐ。

JR鹿児島中央駅から市電で市役所前電停、もしくは水族館口電停で下車、
桟橋通り信号を城山方面(北西)に歩いて約200メートル。

鹿児島東西道路・建部ICより、県道24号線を東へ。
中洲電停信号を北へ(県道24号線まま)。
そのまま、市電(路面電車沿いに進み、裁判所前信号を左折して約100メートル。


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ミネラル天然水【飲む野菜 霧島の天然水・天孫麗水】




posted by 三度笠 at 00:30| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月04日

鹿児島城に行ってきました!

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鹿児島城に行ってきました!
詳しくは、後日アップします(^_^)
posted by 三度笠 at 17:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月30日

歴史を変えた運命の二人が出会った勝龍寺城を旅する 京都府長岡京市

勝龍寺城01.JPG


南北朝の戦いの時期に造られ、歴史の転換期に立ち会った勝龍寺城。
この城は、細川忠興のもとに明智玉、後の細川ガラシャが輿入れしてきたお城でもあります。

戦国時代、織田信長は、この地で三好三人衆と戦い勝利し、畿内から三好三人衆を追い出す切っ掛けを作りました。
それから3年後、勝龍寺城は、細川藤孝に与えられます。
細川藤孝が、勝龍寺城を拠点としていた時に、藤孝の盟友であった明智光秀の三女・明智玉が、細川藤孝の嫡子・忠興のもとに嫁いできます。
年数を経ずして、丹後を制圧した藤孝は、丹後へ転封されます。

織田信長が本能寺の変で倒れると、首謀者・明智光秀は勝龍寺城を手中に収めます。
しかし、過去に勝龍寺城を納めていた明智光秀の盟友・細川藤孝と三女の夫・忠興は光秀には与力しません。

明智光秀が勝龍寺城を拠点とした時、羽柴秀吉は中国大返しを敢行。
秀吉の急襲に、光秀は応戦。山崎の戦い(天王山の戦い)です。
この戦いで、光秀軍は総崩れとなり、敗軍の将となった光秀が琵琶湖畔の坂本城に戻ろうとした途中、光秀は落命します。

勝龍寺城は、江戸時代に入るまで、なんとか保たれますが、1633年に廃城となります。

その前、関ヶ原の戦いの直前。
西軍の首謀者・石田三成は、各大名の妻を人質に取ろうとします。
各大名は、そうはさせじと様々な手を打ちます。
細川ガラシャとなった玉にも、三成の手が伸びます。
人質になって、細川家の迷惑になってはいけないと、ガラシャは自刃。
このことが切っ掛けになって、人質作戦を取ろうとした石田三成への反感は増大。
三成は、人質作戦を断念せざるを得なくなりましたが、「三成憎し」の感情は収まることなく、三成からの離反は跡を絶たなくなり、関ヶ原の戦いでは、西軍の裏切りは連鎖し、総勢20万とも言われる天下分け目の戦いは、たった1日で決着することになります。
勝利を得た、東軍の首謀者・徳川家康は、3年後、征夷大将軍となり江戸幕府開府し、豊臣家を凌駕。
更に、12年後に、江戸幕府により豊臣家は滅亡してしまいます。

細川藤孝が、治めた勝龍寺城。
その時代に出会った、細川忠興とガラシャ。
この運命の2人の出会いが、長い戦国時代の結果を導き出したとも言えるのではないのでしょうか?


勝龍寺城02.JPG


勝龍寺城03.JPG


勝龍寺城04.JPG細川忠興・細川玉(ガラシャ)像


株式会社パム


勝龍寺城05.JPG


勝龍寺城06.JPG


勝龍寺城07.JPG


【入館料】
無料



【開館時間】
4月〜10月 午前9時〜午後6時。
11月〜3月 午前9時〜午後5時。



【関連人物】
細川藤孝
細川忠興
細川ガラシャ(明智玉)
明智光秀
豊臣秀吉(羽柴秀吉)
織田信長
石成友通(岩成友通)※三好三人衆



【名物】
タケノコ(錦水亭はタケノコ料理のお店です)



【祭り】
長岡京ガラシャ祭り(10月下旬〜11月上旬)



【周辺情報】
勝竜寺
光明寺
長岡天満宮
八条ヶ池
錦水亭(鬼平犯科帳などの時代劇で出てくる水上の料亭)
恵解山古墳



【交通】
JR長岡京駅東口から南へゆっくり歩いて10分くらい。

JR長岡京駅から阪急バス「勝竜寺城公園前」下車。

名神高速道路・大山崎ICを出て、国道171号線に入り東北方面へ約400メートル。
小畑川を越えてすぐに左折し、府道211号線に入る。
そのまま府道211号線を走ると再び小畑川を渡り、
府道211号線のまま「ガラシャ通り」に入り約200メートル。


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株式会社パム


posted by 三度笠 at 19:37| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月27日

加藤清正が造り、西郷隆盛が証明させられた、名城・熊本城を旅する 熊本県熊本市

熊本城01.JPG


関ヶ原の戦いの後、加藤清正が造ったお城が、熊本城です。
「武者返し」など、立派で高度な石垣が特筆するべき特徴です。
この石垣は、朝鮮の役の際に、加藤清正が連れ帰った朝鮮の石垣職人に作らせたとも言われています。
また、畳の素材に、芋のツルを使用したとも言われ、籠城時には茹で戻して食料にする目的だったとも言われています。
優美さがあるにも関わらず、実戦を想定して作られたことがわかります。
そうした、実戦を想定した作りになったのは、加藤清正が、豊臣秀頼を守る目的があったとも推測されています。

感情的になって石田三成を倒す手伝いをしてしまった加藤清正。
いざ、石田三成を倒してみると、天下人になった徳川家康を止める手立てがなくなってしまった。
そう気付いた時の加藤清正の心情はどんなものだったのでしょう?

加藤清正と並び評される福島正則は、広島を改易で失うと、川中島へ島流しされます。
豊臣秀頼を守るために堅牢な熊本城を築いた加藤清正は、徳川家康に毒殺されたとも言われています。

そして、熊本城で戦をすることなく、豊臣家は徳川家康に滅亡させられてしまいます。

しかし、熊本城の真価は、幕府滅亡の後、築城から270年余りの歳月を経て発揮されることになります。

政府軍が籠る熊本城を、西郷隆盛が攻めたのです。
それが、西南戦争です。
日本で最後の、攻城戦/籠城戦です。

政府軍は、熊本城を守りきり、西郷隆盛は自刃。
しかし、戦いの最中、熊本城の多くの建物は焼失してしまいます。

現在では、天守等に続き、壮麗な本丸御殿が再建され、往時の素晴らしさを、取り戻しつつあります。


熊本城02.JPG加藤清正像


熊本城03.JPG


熊本城04.JPGほぼ垂直に近い、スゴイ石垣Σ(゚Д゚)


熊本城05.JPG石垣の合間の向こうに見える天守。


熊本城06.JPG


熊本城07.JPG


熊本城08.JPG


熊本城09.JPG


熊本城10.JPG


熊本馬刺【熊本馬刺しドットコム】


熊本城11.JPG櫓の下にこんな針があったら、間違っても登れません(><。)


熊本城12.JPG大天守の窓から見下ろす。


熊本城13.JPGすごい迫力の石垣。


熊本城14.JPG


熊本城15.JPG高さばかりではない。すごく長い石垣。ここまで長い石垣は、他で見た記憶がありません。


熊本城16.JPG


熊本城17.JPG


熊本城18.JPG


熊本城19.JPG御殿へ。


熊本城20.JPG御殿を再建しているお城が増えていますが、襖絵をここまで再現しているお城はそうありません!


熊本城21.JPG天井絵までもスゴイ!


【入城料】
大人500円
小中学生200円



【開館時間】
3月〜11月 8時30分〜18時
12月〜2月 8時30分〜17時
※休園日 12月29日〜31日



【関連人物】
加藤清正
西郷隆盛



【名物】
馬刺し
辛子蓮根
いきなりだんご
あゆのすがたずし



【祭り】
お城まつり(毎年・春と秋)



【周辺情報】
旧細川刑部邸
夏目漱石内坪井旧居
水前寺成趣園
田原坂公園
菊池渓谷
白川水源
阿蘇山
人吉城
人吉SL



【交通】
JR熊本駅から市電で、熊本駅前電停〜熊本城・市役所前電停下車。

JR熊本駅からバスで、熊本駅前バス停〜交通センター下車。

JR熊本駅から熊本城周遊バス「しろめぐりん」で。

熊本空港から空港リムジンバスで、熊本空港バス停〜交通センター下車。

九州自動車道・益城熊本空港ICを出て、県道36号線を西へ。
そのまま進み、出水一丁目信号を右折し(北西方面へ)市電が通る県道28号線に入る。
そのまま約3キロ進む。



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熊本馬刺【熊本馬刺しドットコム】



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posted by 三度笠 at 09:29| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月23日

黒田長政が家康の命と引き換えに造り上げた福岡城を旅する 福岡県県福岡市

福岡城01.JPG


タイトルは、随分ぶっ飛ばしてしまいました(笑)
福岡城が造られたのは、関ヶ原戦で上げた功により、黒田長政が現在の福岡に領地を得てからです。
黒田長政が、関ヶ原の戦勝報告に父・黒田如水を尋ねた際、戦功をたたえ長政の手を握った家康。その時、長政は、反対側の手をどうしていたかと尋ね、「何故、(もう片方の手で家康を)刺さなかった」と詰問したというエピソードから、このタイトルを付けました。

福岡城から近い博多の地は、古くから貿易港として栄えた町でしたが、戦国時代には、廃れていました。
豊臣秀吉が九州征伐を行うと、博多の街を、秀吉の指示の下、黒田官兵衛(如水)が復興に着手。
更に、黒田長政が、転封されると、黒田家の発祥の地の地名をとって、福岡城周辺を「福岡」と命名します。

従来からあった博多の地は、商人の街となり、福岡と名づけられた地は、武家の街となりました。

現在の福岡城は、多くの建物が失われていますが、天守台、多聞櫓、祈念櫓、伝潮見櫓、下之橋御門、母里太兵衛邸長屋門、名島門、御鷹屋敷跡・井戸が残っています。
また、本丸表御門は、黒田家菩提寺・崇福寺の山門として移築されています。


福岡城02.JPG


福岡城03.JPG


福岡城04.JPG


福岡城05.JPG


福岡城06.JPG


福岡城07.JPG


福岡城08.JPG


福岡城09.JPG


福岡城10.JPG祈念櫓。


福岡城11.JPG


福岡城12.JPG


福岡城13.JPG


福岡城14.JPG


福岡城15.JPG


福岡城16.JPG天守台(右)


福岡城17.JPG大天守の跡。


福岡城18.JPG天守台から福岡の街を望む。


福岡城19.JPG天守台(左)。


福岡城20.JPG鉄御門跡


福岡城21.JPG


福岡城22.JPG


福岡城23.JPG


福岡城24旧母里太兵衛長屋門跡.JPG旧母里太兵衛長屋門跡。


福岡城25桐木坂御門跡.JPG桐木坂御門跡。



【入城料】
なし



【開城時間】
9:00〜17:00



【関連人物】
黒田長政
黒田官兵衛(孝高・如水)



【名物】
博多ラーメン
もつ鍋



【祭り】
博多どんたく(5月上旬)
博多祇園山笠(7月1日)



【周辺情報】
舞鶴公園(隣接)
福岡城むかし探訪館
櫛田神社
博多天神
中洲(屋台)
福岡ドーム
太宰府天満宮
小倉城
門司港



【交通】
地下鉄「赤坂」、「大濠公園」から、徒歩約8分
西鉄バス「平和台・鴻臚館前」「大手門」「城内美術館東口」から、徒歩約5~8分

福岡年高速環状線・天神北出入り口を出て、昭和通に入り西へ。
平和台通信号を左折し南下。明治通りに入りすぐ。


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posted by 三度笠 at 22:46| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

築城の名手・藤堂高虎が造った広大な堀と海が守る今治城を旅する 愛媛県今治市

今治城01.JPG


関ヶ原の戦いの功績により、藤堂高虎が今治20万石を得ると、築城に着手したのが、今治城の始まり。
約6年ほどで、今治城は完成。
しかし、同時期に、高虎は、伊勢に転封。
まさしく、今治築城のためだけに、高虎が配置されたような気がします。
高虎の後は、そのまま藤堂家の支配となり、高虎の養子だった高吉が城代となり、その後、松平家の居城となりました。

特徴は、なんといっても、広大なお掘りです。
そして、現在は、埋め立てられてしまいましたが、港と国内最大級の船入を備えた海城であったこと。
その名残として、現在でも、お堀には海水が引き入れられ、地元の方の協力で、お堀には、海の魚や生物が放されています。

三度笠は、夕方に行きましたが、その時刻には、お堀の黒鯛の活性が上がって、水面をジャンプする姿が沢山見られました。
釣り人でもある三度笠は、メッチャ、テンション上がりました(^^ゞ


今治城02.JPG


今治城03.JPG


今治城04.JPG


今治城05.JPG天守から城下を見下ろす。


今治城06.JPG


今治城07.JPG

今治産バスローブ・タオルの通販【コレールブルー】


今治城08.JPG鉄御門


今治城09.JPG鉄御門内部。


今治城10.JPG鉄御門内部。


今治城11.JPG


今治城12.JPG


今治城13.JPGこの広いお堀が今治城の特徴。この広いお堀がほぼ正方形に囲む。


【入館料】
大人500円
学生250円



【開館時間】
午前9時〜午後5時
休館日 12月29日〜12月31日



【関連人物】
藤堂高虎
藤堂高吉(高虎養子・丹羽長秀三男)
松平定房



【名物】
今治タオル
鯛めし
鯛そうめん
水軍鍋
法楽焼
やきとり


【祭り】
継ぎ獅子(5月上旬)
おんまく(8月上旬)



【周辺情報】
吹揚神社(城内)
亀老山展望公園
大山祇神社
別宮山南光坊
タオル美術館ICHIHIRO
糸山公園・来島海峡展望館
野間馬ハイランド
かわら館
唐子浜海水浴場
サイクリングターミナル・サンライズ糸山



【交通】
予讃線「今治駅」からせとうちバス「今治営業所行き」で約7分「今治城前」下車

瀬戸内しまなみ海道・今治北ICから、国道317号線に入り南へ進む。
そのまま、まっすぐ海沿いを走り、約5キロ。吹揚公園北交差点信号前。


[ここに地図が表示されます]



高品質の素材を使用!
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posted by 三度笠 at 14:14| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

官兵衛の水攻め、そして信長の悲報、秀吉が混乱から野望を持った備中高松城を旅する 岡山県岡山市

備中高松城01.JPG


不穏な者を捕まえた。。。
それは、明智光秀から毛利輝元に向けられた使者であった。



「織田信長を討ち果たした」



その事実を伝えるための使者であったが、黒田官兵衛の知恵で備中高松城を水没させた上で囲む秀吉軍に捕まった。

尊崇する織田信長の死に、秀吉は大混乱。切腹しようとまでする。

しかし、黒田官兵衛の一言で一転した。

「天下を狙う好機ですぞ!」

一瞬にして気を取り直した秀吉は、織田信長の敵討ちを決意。
眼前の敵、毛利との講和に頭をフル回転する。

そして、ここから、有名な中国大返しが始まった。
姫路を抜け、今日へと向かう中国路は、秀吉の天下の道に続いていた。。。

まさに、時代の転換期のポイントとなった備中高松城。
もうひとつ。転換された事があった。
秀吉には欠かせなかった名軍師・黒田官兵衛だ。
秀吉を混乱から抜け出させた一言に「危険人物」と感じ、
秀吉は、次第に官兵衛を遠ざけていくことになる。。。

当時の高松城は、湿地帯に囲まれた強固な城だった。
ぬかるみに囲まれた城で、泥に足を取られて、立ち尽くせば、あっという間に狙撃されてしまう。
そこで考えた末、行き着いたのが、水攻め。
水没した高松城内は、櫓と櫓の間を舟で移動したとも。
堤を築いて、川の流れを変え、梅雨時期の雨量もあって、高松城を水没させた。
水攻めに耐えられなくなったところで、秀吉軍からの急な講和。
秀吉は、大幅譲渡したが、城将・清水の首級だけは、譲らなかった。
清水宗治は、舟でい出て、切腹した。

現在の備中高松城は、公園として整備されている。
特に資料館的なものはなく、見学は自由だが、当時を思わせる遺構は、一見わからない。
ただ、解説が書かれたものが多くあり、城跡であることを感じさせてくれる。

備中高松城02.JPG織田、毛利の和議の証に切腹した清水宗治辞世の句の句碑。


備中高松城03.JPG清水宗治首塚。


備中高松城04.JPG備中高松城は、現在公園として整備されている。


備中高松城05.JPG


備中高松城06.JPG


備中高松城07.JPG


備中高松城08.JPG最上稲荷の大鳥居が見える。


岡山の地酒です!板野酒造場


備中高松城09.JPG七言絶句では、読めずに、絶句。。。(涙)


備中高松城10.JPGゴールデンウイーク。観光客の撮りそうなところに、自転車は置かないでくださいm(_ _)m


備中高松城11.JPG


備中高松城12.JPG


備中高松城13.JPG


【入城料】
なし



【開館時間】
なし(建物なし)



【関連人物】
清水宗治
毛利輝元
小早川隆景
安国寺恵瓊
羽柴秀吉
黒田官兵衛
織田信長



【名物】
きびだんご
ままかり



【祭り】
備中高松 まほろば祭り(10月)



【周辺情報】
最上稲荷
吉備津神社(桃太郎の神社)
吉備津彦神社
総社宮
岡山城
倉敷美観地区



【交通】
JR備中高松駅から北へ約400メートル。
南にしか出口がないので、一旦駅を出て、右(西)へ。
右手の線路を超えて北に進み、約400メートル。

岡山自動車道・岡山総社ICを出て、
国道180号線を東へ。
高松中学校東の信号を更に進み、次の信号を左折(北へ)。
約400メートル。


[ここに地図が表示されます]




岡山の地酒です!板野酒造場



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posted by 三度笠 at 18:29| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月13日

江戸幕府滅亡の象徴となった小倉城を旅する 福岡県北九州市





小倉城01.JPG


関ヶ原戦後、細川忠興が作った城と城下。
余談ですが、長崎に落とされた原爆。元々の目標は小倉です。
1945年8月9日当日。悪天候のため目標が変更されました。
細川忠興が作った城下は、それほどの繁栄をしていたとも言えます。

小倉城が、歴史上、もっとも注目されたのが幕末。
幕府の長州征伐に与力した小倉藩の小倉城。
しかし、高杉晋作の活躍により、小倉藩は混乱。
最後は、小倉城に火を掛け撤退。
小倉城は、灰燼に帰し、これを起に江戸幕府の本格的な崩壊が始まります。
その後の幕府は、崩壊が止まらず、大政奉還、そして、解体へ。。。

ただし、大河ドラマなどでは、天守が炎上するシーンが多く描かれていますが、長州征伐時には既に焼失していました。

小倉城天守の特徴は、最上段。
欄干がなく、なんだか、ずんぐりしています。
これは、最上階2階分をまとめて作ったため。
珍しい構造です。

このような作りは、時々、松本城など、降雪が多い地域のお城で見られます。
理由は、欄干部分に積雪してしまうと、壊れる原因になりかねないから。
しかし、さほど雪の降らない小倉では、非情に珍しい作りと言えるとも思います。

小倉城02.JPG堂々とした天守。でも、ちょっと、ずんぐり。。。


小倉城03.JPGお堀と櫓。一部、八坂神社の建物も。我々は、八坂神社から、お参りがてら入城。


小倉城05.JPG

小倉城06.JPG


小倉城07.JPG


小倉城08.JPG


小倉城09.JPG


小倉城10.JPG覆面をしているような天守最上階。


世界最大の旅行サイト・トリップアドバイザー

小倉城11.JPG


小倉城12.JPG


小倉城13.JPG城内。このプレート、かっこいいなぁ♪


小倉城14.JPGゆるキャラw


小倉城15.JPGこの「迎え虎」が、上のゆるキャラの元らしい。


小倉城16.JPGこのジオラマは、照明が変わり、朝晩、昼、虹と風景が変わります♪


小倉城17.JPG本物じゃないよ。フィギュアだよ♪リアル評定♪


小倉城18.JPG天守からの風景♪


小倉城19.JPG


【入城料】
大人 350円
中高生 200円
小学生 100円



【開館時間】
4〜10月 9:00〜18:00
11〜3月 9:00〜17:00



【関連人物】
細川忠興
小笠原忠真



【祭り】
祇園祭(太鼓の祇園、7月)



【周辺情報】
小倉城庭園(城内)
八坂神社(城内、三大祇園のひとつ)
松本清張記念館(隣接)
門司港駅(歴史建築)
北九州市旧大阪商船
門司港
和布刈神社
下関
赤間神社
巌流島
壇ノ浦古戦場(馬関戦争跡地)



【交通】
JR小倉駅南口を出て、デッキを歩き下って、計約200メートル。
駅前信号を右折(西へ)、国道199号線に入る。
道なりに進み、北九州芸術劇場に出る。
小倉城は、北九州芸術劇場裏。

北九州年高速道路2号線・小倉駅北出入口を出て、約250メートル進む。
浅野三丁目信号で右折(南へ)し、県道37号線に入る。
魚町信号を右折(西へ)し、国道199号線に入る。
道なりに進み、北九州芸術劇場に出る。
小倉城は、北九州芸術劇場裏。
※小倉駅北出入口を出た道も、北九州芸術劇場の道も、同じ「国道199号線」が平行しているので注意。


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posted by 三度笠 at 19:11| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月10日

源平合戦以来の名門河野氏が250年にわたり拠点にした温泉由来の湯築城を旅する 愛媛県松山市

湯築城01-LOW.JPG


湯築城には、「湯釜」と言われる場所があります。
湯築城は、名湯・道後温泉のすぐ近くにある城址です。
すぐ近くもすぐ近く。歩いていける距離、道後温泉本館からは、150メートルほどです。
湯釜は、まさに、道後温泉の湯に由来します。
現在は、道後公園として管理されています。

この温泉たっぷりの湯築城を250年にわたり拠点にしたのが河野氏。
源平合戦で源氏方について活躍したのが、河野通信。
有力御家人になり、一時没落しながらも、以来約400年の間、伊予を支配します。
南北朝の時代に河野通盛が、湯築城に拠点を移して以来、250年間、根を下ろします。
戦国時代、足利将軍家と結び、近隣大国と縁戚を結び、伊予国守護としての地位を保ち、長宗我部元親の侵攻にも耐え抜きますが、豊臣秀吉の侵攻には耐え切れず、湯築城を明け渡すことになり、400年に渡る、河野氏の伊予国支配と、250年の河野氏の湯築城は、終わります。
豊臣秀吉の四国侵攻後は、福島正則が伊予に入国。
しかし、湯築城には入らなかったため、廃城となりました。


湯築城02-LOW.JPG


湯築城03-LOW.JPG外堀


湯築城04-LOW.JPG


湯築城05-LOW.JPG内堀


湯築城06.JPG


トリップアドバイザー


湯築城07.JPGあまり、これだと分かる、当時の遺構は少ない。多分、この石垣も違うかなと思う。


湯築城08.JPG


湯築城09.JPG木と枝に隠れているが、展望台がある。おそらくここが本丸。


湯築城10.JPG展望台から、松山城天守を望む。分かりにくいが、写真中央の出っ張りが松山城天守。


湯築城11.JPG内堀。公園として整備されすぎて、当時のものかわかりづらい。。。


湯築城12.JPG


湯築城13.JPG湯釜、湯釜薬師。


湯築城14.JPG


【入城料】
無料


【開館時間】
なし


【関連人物】
河野通盛
河野通直
小早川隆景



【名物】
坊ちゃん団子
六時屋のタルト
愛媛みかん
温泉


【祭り】
道後温泉祭り(3月中旬)



【周辺情報】
道後公園(湯築城跡)
松山城
子規記念博物館
道後温泉
浄瑠璃寺
西林寺
繁多寺
太山寺
八坂寺
浄土寺
石手寺
円明寺
今治城



【交通】
JR松山駅より路面電車で道後公園駅まで約20分、下車してすぐ

松山自動車道・松山ICから、国道33号線を北へ約3キロ。
天山信号を右折後約1キロ進み、国道11号線に入ると北へ3キロ弱で左折。
路面電車が走る県道188号線に入り、1キロ弱。


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トリップアドバイザー


posted by 三度笠 at 22:12| Comment(0) | お城記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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